「ご先祖様徹底調査」カテゴリーアーカイブ

先祖代々のお墓探し

「先祖のお墓を探してほしい」というご依頼をいただきました。

墓仕舞いや無縁暮改葬というお仕事のご依頼をいただく一方、このように先祖のお墓探しのご依頼をいただくこともあります。

先祖のお墓を探す方法としては、通常は本家筋にあたる子孫を探しその子孫の方と連絡を取ってお墓を教えていただく方法をとります。たとえば、祖父のお墓を探したい場合には祖父のお墓を受け継いだであろう父の兄の子孫を探し、曾祖父のお墓を探したい場合には祖父の兄の子孫を探し、高祖父のお墓を探したい場合には曾祖父の兄の子孫を探す、という方法です。

そのためにまずは戸籍を取得することが最も近道です。祖父の兄弟姉妹や曾祖父の兄弟姉妹のお名前が判明し、その方々の居住地や子孫が判明する可能性があるからです。古い時代の先祖となりますと兄弟姉妹全員が判明しないこともありますが、明治初期の本籍地、つまりは当時の居住地だったであろう地域がわかります。その場所の周辺には先祖代々のお墓が存在する可能性が高いです。

ご依頼者様は既に戸籍をお持ちであり、現行法上取得できる最も古い戸籍までさかのぼれているとのことでした。さらに最古の本籍地の旧土地台帳や登記簿謄本なども既にご自身で取得済みとのことでした。ほぼ下準備もなく本家の子孫を見つけることができるかなと思っておりました。

しかし、戸籍、旧土地台帳、公図などを確認すると、どうも様子が変です。かつての最古の本籍地番は明治時代から現在までずっと畑であり、また、その周辺に住居があった気配はありません。さらに電話帳を調べてみると、該当する村には多くの同姓の方々が住んでいるものの最古の本籍地番には該当がありませんでした。

これはおそらく、戸籍上の本籍地番と土地の地番とが相違していると考えられます。

その理由ですが、
・屋敷番号の「○○番屋敷」や「○○番邸」と表記すべきところ、「○○番地」と表記してしまった
・戸籍が編成された後に地番変更があり、戸籍上の本籍地番はそのままであったものの旧土地台帳は新地番が採用された
・隣接地を含めた「○○番地・△△番地合併地」という表記をすべきところ、ひとつの地番のみが戸籍に記載されてしまった
などが考えられます。

いずれにしても、最古の本籍地がその後にどのような地番になっていったのかは、今回の場合では戸籍を取得して確認できませんので別の方法で本家の子孫を探さねばなりません。

この時点で本家の子孫やお墓を探すための方法としては、
・電話帳で把握できた同姓の方々にお手紙を書いてみる
・法務局で、かつての村すべての旧土地台帳を閲覧する
という方法をとることができます。

今回、先に法務局で旧土地台帳を閲覧する方法をとりました。旧土地台帳を閲覧することにより本家の子孫が見つかるだけでなく、もしかしたら先祖伝来のお墓が見つかる可能性も考えられるからです。
現代の都市部では菩提寺の境内にお墓があることがほとんどですが、地方では菩提寺の境内にお墓があることよりも今でも村の共同墓地などにお墓があることが多いからです。この場合には村の名義になっていたり共有者全員の共同名義になっていたりします。

法務局へと

旧土地台帳が編成された後の時代に町名地番変更や区画整理などが行われている場合、現在では旧土地台帳がどのようにファイリングされているか事前に確認しておくことが重要です。
また、旧土地台帳は多くの場合において200番地ごとに1冊の冊子になっていますが、1村すべてでどれくらいのボリュームになるかも事前に確認しておくこともお勧めです。

法務局で旧土地台帳を1ページずつめくっていくと、ご依頼者様と同姓の方々をすぐに見つけることが出来ました。さらに、閲覧を進めていくと、ご依頼者様の先祖や先祖の兄弟の方々のお名前も見つけることが出来ました。いくつかの土地を所有しており、その中でも登記上の地目が郡村宅地や宅地になっているところが先祖代々の居住地と思われる場所です。

旧土地台帳だけでは現在もそこに住んでいらっしゃるかどうかまでは分かりませんので、コンピュータ化前の登記簿謄本や現在の登記事項証明書なども取得し、さらには現在の住宅地図なども確認します。
すると、幸いなことに現在もその場所に子孫のかたが住んでいることが分かりました。これで本家を継いだかた、つまりは先祖代々のお墓を承継したであろうと思われる方が判明しました。

さらに旧土地台帳の閲覧を進めていくと、登記上の地目が墓地になっており、かつ、共有名義になっている土地を見つけました。しかし、共有名義であっても旧土地台帳上には共有者全員が記載されていないこともあり、今回もそのようなパターンでした。そこで、現在の登記事項証明書などを取得すると共有者のお名前が登記されておりました。その共有者の中からご依頼者様の先祖のお名前を発見することが出来ました。
登記上の地目が墓地であっても必ずしもお墓であるとは限らず、祠や石碑の場合もなどもあります。 そこで住宅地図やグーグルマップで現地を確認すると、現在も共同墓地となっていることが分かりました。

今回の調査では幸いにも法務局の旧土地台帳調査だけでご依頼者様の本家の子孫のかたの所在地と先祖のお墓の所在地を見つけることが出来ました。後日、本家の子孫の方と連絡をとり、現地のお墓を確認させていただくと先祖のお墓探しも完了です。

さて、今回の調査では「戸籍上の本籍地」と「先祖代々の居住地と思われる場所」の地番が異なっていると思われましたため先に法務局での調査を行ないました。地番が異なっている理由については、おそらくは屋敷番号が間違って表記されたか地番変更が行なわれたかのどちらかであると思われますが、これを調査をすることは非常に難しいため調査はここまでとなりました。

家系図作成や先祖調査はもちろんのこと、先祖伝来の家紋調査や先祖代々のお墓探しなども承っております。
過去のお墓探し調査では、道なき道を進み藪の中へ入って行ったことや、廃村となった山中を歩き回ったことや、炎天下の中1000基以上の墓石を確認してまわったことなどもございますが、幸いにも今回は法務局だけの調査でお墓を見つけることが出来ました。

「先祖代々のお墓に手を合わせたい!」「先祖代々のお墓を探して欲しい!」というご希望をお持ちのかたがいらっしゃいましたら、お気軽にお問い合わせいただければ幸いです。

斗南藩士の先祖調査録

「斗南藩に関する本を読んでいたら自分の先祖と同じ名前が出ていたので同一人物かどうか調べて欲しい」というご依頼をいただきました。

既に戸籍は取得済であったものの、古いものは残念ながら廃棄されておりました。しかし、調査対象となる方の出生死亡日や父母のお名前は幸いにも戸籍に記載されておりました。
江戸時代に先祖が武士だった場合、「当家の先祖は侍だった」「○○藩の士族だった」という言い伝えが残っていることが多いです。しかし、例えば父や祖父が早くに亡くなっていたり、例えば父も祖父も分家した家系では先祖伝来の言い伝えが伝わらないことも珍しくありません。親戚が少なく家系のお話しを聞ける人がいないといった事情もあるかもしれません。これは先祖伝来の家紋がわからない、先祖代々の古いお墓がわからないことと同様の事例だと思います。
今回の案件においても、ご依頼者様自身には「先祖が武士だった」とも「武士ではなかった」とも伝わっていませんでした。

斗南藩とは?
明治2年(1869年)に松平容大に家名存続が許されて成立した青森県の東部にあった藩です。旧会津藩士が斗南藩に移住し成立しました。

今回の案件はさかのぼる調査でも、ある特定の先祖について詳細を調べる調査でもありませんので、斗南藩士に関する記録を探していくことにいたしました。斗南藩士に関する記録がどれほど残っているか、どのようなことが書かれているかがキーポイントになります。また、元々は会津藩士だった方々が明治2年に斗南藩士となったわけですから、必要に応じて会津藩士に関する記録も探していくことになります。

斗南藩士と会津藩士に関する書籍や資料として、下記のものなどを国会図書館で閲覧することが出来ました。
・「斗南藩 : 「朝敵」会津藩士たちの苦難と再起」
・「会津藩斗南へ : 誇り高き魂の軌跡 新装版」
・「会津若松市史史料目録 第4集」
・「会津若松史」
・「明治の士族 : 福島県における士族の動向」
・「要略会津藩諸士系譜 」
・「会津藩士人名辞典 : 役名禄高住所明細 安政5年調」
・「会津史談会誌 」
・「五戸町誌 」
・「神谷源蔵 : 明治初期の村政と旧斗南藩士」
・「斗南藩史」

斗南藩に移住した方のお名前の他に父の名前や家族構成、年齢などの詳細も書かれている資料もありました。ご依頼者様の先祖と同じ名前の方とは父の名前や年齢や家族構成などの全てが異なっており、またその地区においては旧斗南藩士は廃藩置県後に会津に戻っていったことなども書かれておりました。つまり、同姓同名の別人であることが判明しました。

ご依頼者様の先祖は残念ながら斗南藩士でなかったという結論に至ったのですが、それでもご依頼者様からは「これまで気になっていた家系の謎が解けてすっきりしました」というご感想をいただくことができました。さらに、亡き父のことが書かれていた郷土誌も見つけること出来、お喜びいただける調査結果となりました。

斗南藩士に関する記録は現地の青森県や、もともとの藩である会津藩があった福島県のほうが多数残っていることだと思います。しかし現地に行かずとも書籍化された資料も多く存在しますので、国会図書館でも調査を行なうことが出来ました。

続きを読む 斗南藩士の先祖調査録

二宮金次郎

以前に家系図を作成したかたから「二宮金次郎と先祖との関わりについて調べて欲しい」というご依頼をいただきました。

二宮金次郎とは?

天明7(1787)年に小田原市栢山の農家に生まれ、小田原藩士の服部家の財政を再建したり多くの村々の立て直しをおこないました。小田原藩の桜町領の再興にも取り組み、安政3(1856)年に栃木県日光市で亡くなりました。
薪を背負いながら書物も読んでいる銅像を見たことがあるかたも多くいらっしゃると思います。

報徳博物館

学芸員さんにお話を伺いに報徳博物館へ足を運びました。 参考になりそうな書籍などを多数教えていただきました。
博物館内には二宮金次郎ゆかりの品々が展示してあり、大きく印刷された二宮家の家系図も展示してありました。

報徳記念館

小田原市栢山にある報徳記念館にも足を運びました。二宮金次郎の生家が敷地内にあります。ここでも学芸員さんから展示物などについていろいろと教えていただき、ボランティア解説員のかたからもお話をうかがうことが出来ました。
かつて二宮金次郎が酒匂川沿いに植えたとされる松についてもお話しをうかがいました。私の小学校時代「酒匂川の氾濫を防ぐために二宮金次郎が松を植えた」と習いましたので、松を植えることによって川の氾濫を防いでいたと思っていました。しかし、松の木や根っこ自体が堤防決壊を防いでいたのではなく、酒匂川が氾濫もしくは氾濫しそうになった時に松を切ってしまい、その木材を使って堤防決壊を防いだり決壊した堤防を直すことに使用していたそうです。とてもよいお話しを聞くことができました。

小田原図書館

「二宮金次郎と善栄寺」という書籍を見つけることが出来ました。善栄寺は小田原市栢山にあるお寺で、二宮金次郎のお墓があるお寺です。
弘化2(1845)年に善栄寺が火災に遭い本堂が焼失したことが記載されており、二宮金次郎と善栄寺とのお手紙をみつけました。二宮金次郎は弘化2(1845)年時点では既に栢山を離れておりますので、二宮金次郎の書面による指導のもと善栄寺檀家が団結して善栄寺再建をおこなっていったことが読み取れました。

二宮法務局

二宮法務局

たまたま同じ「二宮」ですが、二宮法務局にも足を運び旧土地台帳や旧公図などの調査をおこないました。
しかし、対象地の旧公図は大正時代以降に編製されたものしか無く、旧土地台帳からは手がかりを得ることはできませんでした。

善栄寺

善栄寺

小田原市栢山の二宮金次郎生家近くに善栄寺というお寺があり、そこには二宮金次郎のお墓があります。

二宮尊徳全集

二宮尊徳全集

全36巻。二宮金次郎の日記や手紙などが掲載されており、二宮金次郎について学ぶことの出来る全集となっています。辞書のようにとても膨大な分量で、すべてを閲覧するには相当な時間がかかりました。
栢山村の名主の家々にかつて存在したであろう古文書は小田原市の郷土誌からはあまり見つからなかったのですが、この二宮尊徳全集には江戸時代の栢山村や周辺の村々の様子が読み取れる古文書や資料が多数掲載されていました。
二宮総本家再興の記録、婚礼ご祝儀帳、伊勢参宮の記録など多数の記録があり、周辺の村の方々との交流の記録の中から依頼者様の先祖のお名前も多数見つけることが出来ました。

最後に

私は小田原周辺で生まれ育ちましたので、二宮金次郎は小さい頃からなじみのある郷土の偉人でした。
二宮金次郎の偉業についてはここでは省略しましたが、半年にわたる調査で私もたくさんのことを知ることができました。二宮金次郎をより身近に感じることができた調査活動であったと同時に、その偉業をあらためて再認識することができました。

映画「二宮金次郎」

二宮金次郎

市民会館や公民館での上映ですが、映画「二宮金次郎」が公開されています。主演の合田雅吏さんは実は私の高校の5つ上の先輩だったりします。機会があれば私も見に行きたいと思っています。

映画「二宮金次郎」公式サイト

先祖調査報告@広島県

広島県にルーツを持つ方から先祖調査と家系図作成のご依頼をいただきました。いつも通りにまずは戸籍を収集し、国会図書館において資料収集や文献閲覧などの事前調査を済ませました。

今回の出張は日程に余裕があったため、調査開始の前日から呉市入りして市内を少し観光することにしました。

崎陽軒のシウマイ弁当
新幹線の出張のお供は崎陽軒のシウマイ弁当が私の定番です。

てつのくじら館

呉駅から徒歩5分くらいのところにある海上自衛隊の史料館です。実物の潜水艦が展示されており、その内部も見学することが出来ます。展示というよりも巨大な潜水艦が敷地にそのまま置かれていると言った方が正確かもしれません。うれしいことに入館料は無料です。

大和ミュージアム

戦艦大和を建造した軍港のあった呉市にある博物館です。てつのくじら館の道路をはさんだ反対側にありますので、2つの施設を同日に見て回れます。戦艦大和に関する様々な資料が展示されていました。

海軍さんの麦酒館

呉市の町並みを眺めながら川沿いを歩いていき、海軍さんの麦酒館へと行ってきました。この日はちょうど呉港の花火大会の日でしたが、早い時間帯で一人だったためすぐに入れました。ビールとカレー、ともに絶品でした。呉市を訪れた際にはまた行きたいお勧めのお店です。

お墓の調査

呉駅からローカル線とバスを乗り継いでご依頼者様の先祖のお墓を調査しに向かいました。真冬の調査も寒くて過酷ですが、真夏の調査もかなりしんどいです。墓石や墓誌に刻まれたお名前を全て確認することが出来ました。

無事に調査を終え、アイスを食べてクールダウン。

呉市中央図書館

呉市中央図書館

呉市史に掲載されていた出典元の資料が呉市中央図書館に保管されており、資料現物を閲覧できることを事前の調査で把握しておりました。予約制のため前もって図書館の方にお願いをしておき、当日は出典元の資料を閲覧させていただくことができました。
郷土誌には宗門人別帳などの古文書、古い時代に書かれたグラフや統計、写真などが掲載されています。これらの資料は出典元の一部分のみであることが多いですが、ほとんどの場合において出典元資料の情報が郷土誌に掲載されています。 それら大元の資料を閲覧することにより、郷土誌には掲載されていない新たな情報が得られることがあります。
郷土誌の出典元資料は旧家などの各個人が所蔵していることが多く、残念ながら今では所在が分からなくなっていることもあります。しかし、今回は幸いなことに出典元の資料が図書館に保管されていることがわかり、しかも閲覧させていただくことも出来ました。
先祖調査を行う上では、ただ単に郷土資料を閲覧するだけでなく一歩踏み込んで出典元資料の調査までをおこなうことも重要です。
呉市図書館ではそのほかにも現地でしか閲覧できない書籍なども閲覧して参りました。

呉法務局

呉法務局

事前に戸籍調査をおこなったものの、残念ながら最古の戸籍は廃棄されておりました。おそらくは戸籍上判明した本籍地と同村に住んでいらしたと思われるものの戸籍廃棄のため正確な場所はご依頼人様もご存じではなく、そのため先祖のかつての居住地を探すため法務局にやってきました。
一村すべての旧土地台帳を閲覧することにより、先祖のかつての居住地や土地の所有状況などが分かることがあります。今回も時間をかけて全物件の旧土地台帳を閲覧し、幸いなことに先祖のかつての居住地が判明しました。また、先祖の名義となっていたその他の土地も発見し、さらに他にも先祖の遠縁に当たると思われる方々も把握できました。これらの情報は後日お手紙等で情報収集する際の手がかりとなります。

多幸膳

広島に来たらやっぱりお好み焼き。呉市街にある多幸善というお店に行きました。リーズナブルでおいしいお店でした。

東広島市の風景

帰りの新幹線の車窓から。
以前に東広島市での先祖調査をご依頼いただき、3年ほど取り組んでおりました。東広島市には何度も足を運び、赤瓦の屋根を良く目にしました。新幹線からも眺めることが出来、懐かしい思い出がよみがえってきました。

高松藩医の先祖調査録

以前に書いた高松藩士調査のブログ記事をご覧いただいた方から家系図の作成と高松藩医の先祖調査のご依頼をいただきました。
先祖が江戸時代に高松藩の藩医だったそうであり、その記録を探す調査を行なうことになりました。多くの藩において、藩医も武士の方々と同様に士族に関する記録に載っております。

まずは戸籍調査を行ない、幸いなことに古い戸籍も廃棄されておらず現行法上取得できる最も古いものまでが取得できました。

次に国会図書館に出張して資料文献を探す事前調査。 高松藩士に関しては郷土史研究家のかたが書かれた「高松藩藩士録」という書籍に多くのことが記載されています。高松藩医に関する資料として、古い時代の香川県医師会誌に掲載されている記事がとても参考になります。何度も国会図書館に通って念入りに事前調査を行なった後に高松市へと出張しました。

高松市内には高松藩医の墓地が残っており、まずは墓地を訪問して調査。次にご依頼者様の先祖のお墓を調査。戸籍よりも一代さかのぼった先祖のお名前を墓碑に確認できました。古い時代の墓碑はそのままでは読むことが出来ない場合でも、霧吹きで水を掛けたり昼間でも懐中電灯を当てて影を作ることで読み取れる場合があります。今回は懐中電灯の光を当てたことにより、ご依頼者様も確認できていなかった新たな先祖のお名前を読み取ることが出来ました。

高松港

墓石調査の後はご依頼者様と一緒に高松港を眺めながらお食事をいただいてきました。

その後、香川県立図書館へ。ここは以前にも高松藩士の調査で訪れました。高松藩士や高松藩医に関する書籍が多数あり、高松藩医録や高松医学医事史といった書籍がとても参考になります。
まだ書籍化されていない出典元の資料についてはコピーは出来ませんが、閲覧や写真撮影が出来ます。

高松滞在の最終日、法務局での旧土地台帳調査が予定よりも少し早く完了しましたので、前回の出張では行けなかった高松城へ行ってきました。

海に隣接するお城だけあってお堀には黒鯛がたくさん泳いでおり、エサ販売のガチャまでありました。

お城の石垣の矢穴や印を探してみるのも面白いです。

貴家の家系図作成を代行いたします

当事務所ではご依頼人様に代わってご先祖様を調査し家系図を作成いたしております。
下記リンク先よりまずは無料資料請求をしていただき、じっくりとご検討くださいませ。
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守山藩(松川藩)の先祖調査録

「先祖が水戸藩士だったようだ」

というお客様から調査のご依頼をいただきました。戸籍よりもさらに先祖をさかのぼりたい、江戸時代の先祖の詳細が知りたいというご希望です。

先祖のお墓やお寺は分かっているものの、墓石や過去帳などから得られる情報はないとのことでしたので、資料文献調査を中心に進めていくことにしました。
戸籍は既にお持ちでしたので、まずは町名地番変更を水戸市役所に確認した後に旧土地台帳を申請しました。水戸の旧城下町は町名が変更され住居表示も実施されていますので、古い戸籍と現在の住所の表記が合致しません。そのため旧土地台帳などを申請するには新旧の対照を事前に調べる必要があります。

次に水戸城下絵図を取得しました。これは茨城県立図書館デジタルライブラリーでも取得することが可能です。
旧土地台帳上の所有者と城下絵図とを比べると所有者の苗字が一緒ですので、先祖がかつて居住していた場所を特定することが出来ました。しかし、ご依頼者様の先祖の苗字とは異なりますので、土地は自己所有ではなかったようです。

続いて資料文献の調査もおこないました。水戸藩士に関する名簿資料は多数ありますが、その中の1つに水府系纂目録というものがあります。これは国文学研究資料館でも閲覧できます。
国文学研究資料館 HP
水府系纂目録

さらに国会図書館でも様々な資料を調べたところ、実はご依頼者様の先祖は水戸藩士ではなく守山藩士だったことが判明しました。

守山藩とは現在の福島県郡山市と茨城県大洗町に領地をもっていた2万石の藩です。水戸藩とも関わりが深く、水戸藩の御連枝で支藩です。明治3年に守山陣屋から松川に藩庁を移したため松川藩とも呼ばれています。
守山藩士に関する資料や書籍として、福大歴史学研究会発行の「歴史 第17集」や「シリーズ藩物語 守山藩」などがあります。これらの資料の他に茨城県立歴史館や郡山市歴史資料館にも現地でしか見られない資料があることがわかりました。

茨城県立歴史館

国会図書館にも多くの郷土誌が蔵書されていますが、全てではありません。また地域の郷土史研究家が書かれた書籍や郷土資料などは、その地域にしか蔵書されていないことがほとんどです。今回の調査においても茨城県立歴史館にしかない資料が数点ありました。その中から依頼者の先祖に関する記述を見つけることが出来、さらにその記述の出典元資料がとある大学に保管されていることもわかりました。後日、その出典元資料を取り寄せたところ、依頼者の先祖のことが書かれており、さらには戸籍よりも2代さかのぼったかたのお名前までが判明することになりました。

郡山市歴史資料館

郡山市歴史資料館には、年中公私日記や守山藩御用留帳といった守山藩時代の古文書が多数残されています。資料館の所蔵資料はHPからは検索出来ませんので事前に目録を入手しました。「郡山市歴史資料館収蔵資料目録」というものが国会図書館などにあります。
所蔵資料の中には活字化されたものが国会図書館などにもありますがごく一部であるため、すべてを閲覧するには現地まで行く必要があります。
資料館では古文書を直接閲覧させていただくことが出来、写真撮影も可能でした。ただし、資料数が膨大であったため、また、すぐには判読できないくずし字で書かれていますので、この日は撮影のみを行なって持ち帰ってから後日に精査することにいたしました。
しかし、所蔵されていた古文書には守山藩士のことは残念ながらほとんど載っていませんでした。
ですが、 古文書資料の中の数少ない守山藩士に関する記述の中から、ご依頼者様の先祖のお名前を見つけることが出来ました。

郡山市歴史資料館
茨城県立歴史館
年中公私日記
年中公私日記

おわりに

今回の先祖調査ではご依頼をいただいてから調査報告書をお渡しするまで7ヶ月の長きにわたり、私にとっても思い出深い調査案件となりました。
結果としても戸籍以上に先祖を2代さかのぼる出来ました。しかし2代さかのぼれたということ以上に、ご依頼者様の先祖の詳細が判明して、収集した膨大な資料もお渡しすることが出来ましたことにご依頼者様にも大変お喜びいただくことが出来ました。

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先祖調査に国立公文書館を活用しよう

先祖が幕臣だった場合、様々な方法で資料探しをすることが出来ます。その中の1つに国立公文書館デジタルアーカイブというものがあり、目録の中から先祖のお名前を見つけられる可能性があります。

先日、国立公文書館デジタルアーカイブでご依頼者の先祖の名前を検索してみると該当がありました。
出典元は 多聞櫓文書となっておりますのでおそらくは幕臣に関する文書で、内容は跡目に関するもののようです。

国立公文書館デジタルアーカイブ ではネット上で閲覧できる城下絵図や古文書などもありますが、個人資料に関しては多くが目録のみになっておりその中身まではネット上では閲覧することが出来ません。
利用制限が「公開」となっているものについては、利用決定がなされた後に郵送にて資料を取り寄せできるものもあります。

該当資料の目録発見から実際に資料を取得するまでの工程は少々複雑ですが、大まかな流れとしては下記のようになります。

利用請求書を送る

利用決定通知書が届く

手数料等通知書が届くので振り込む

資料が届く

国立公文書館の詳しい利用方法については、国立公文書館の利用案内のページをご確認ください。

国立公文書館

ゆうパックで資料が到着。
利用請求から資料到着まで、このときは4週間ほどかかりました。しかし、古文書の内容を精査したところ、大変残念ながらご依頼者様先祖とは同姓同名の別人であるという結論に至りました。

出張のお知らせ 平成31年3月1日(金)~4日(月)

ご先祖様現地調査のため、平成31年3月1日(金)夕方から4日(月)まで四国へと出張いたしております。

この間、電話は転送となっており出張先でメールもチェックいたしておりますが、返信が遅れることもございます。

ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。

先祖調査の現場から~高松藩士の記録を求めて~

ご先祖様調査のため、香川県高松市へと行ってきました。

 


岡山駅で新幹線から在来線に乗り換えて高松駅まで。
神奈川から香川県までは5時間以上かかりますので、前日からの移動で高松入りです。

 


高松市街からはローカルな電車に乗り、路線バスを乗りついで目的地を目指します。

 

香川県立文書館
今回の目的地の香川県立図書館です。
ご依頼者様の先祖はかつて高松藩士であり、その高松藩士に関する資料の収集にやってきました。
江戸時代に士族であった方々の記録は、分限帳や侍帳などともよばれる記録として残っていることがあります。
当時の記録そのものを見ることが出来ることもあれば、後世になってから書き写されたもの、活字化されたものなど、保存形態は様々です。
藩の記録の多くは、かつての藩が存在した場所の都道府県立図書館や文書館に保管されていることが多いですが、どこにどのような記録が保管されているか、事前に入念な準備が必要です。

 

香川県立文書館
香川県立図書館のとなりには香川県立文書館もあり、ここにも高松藩士に関する資料が多数保管されています。

 

高松藩士族分限帳 高松藩分限帳 高松藩士族名簿
丸二日間の調査でこれだけの資料のコピーを取得してきました。
出張先では資料をひたすらコピーし、持ち帰ってからすべてに目を通します。
その後、ご依頼者様へと報告ならびに納品をさせていただきました。

 


香川県と言えばうどん県。
写真以外にも、うどんをひたすら食べてきました。

 

ご参考までに、高松藩士に関する資料には下記のようなものがあります。

国立国会図書館所蔵
高松藩藩士録

香川県立図書館所蔵
高松藩士族名簿
高松藩士由緒記
分限帳 大川町 鴨居家文書
増補 高松藩士由緒記
高松城下武家屋敷住人録(上 下)
嘉永年間讃岐高松藩分限録
讃岐軽率人員従前禄渕米書上帳
高松領郷中帯刀人別
高松領郷士連名録
高松藩分限帳 全3冊
讃岐高松藩分限帳 天明7年11月27日改

香川県立文書館所蔵
安永七年高松侍中分限帳

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先祖調査の現場から~山形県米沢方面~

ご先祖様調査のため、山形県米沢市近郊へと行ってきました。

 

 
東京駅では様々な新幹線を見られます。

 


実は初めて乗る山形新幹線。
旅のお供の駅弁を食べているあいだに、あっという間に米沢に到着。

 


ホームでは米沢牛が出迎えてくれていました。

 

神奈川県在住の私からすると山形県って遠いイメージがありましたが、実は東京駅から米沢までは約2時間。
思ったより近いんですね。
米沢駅前でレンタカーの借り受け手続きなどを済ませ、目的地へ。

 

米沢法務局
米沢法務局です。

今回の調査の主な目的は、旧土地台帳の閲覧です。
旧土地台帳とは明治23年頃に編製され昭和30年代頃まで使われていた土地の台帳です。法務局で閲覧したり写しを取得することが出来ます。

旧土地台帳を閲覧することによって、かつての先祖の居住地を知ることも出来ますが今回は既に判明していましたので、調査内容は「先祖がかつて所有していた土地の規模を知りたい」というご依頼でした。

旧土地台帳が編製されたのは明治20年代ですので、それ以前のこと、例えば江戸時代の田畑の規模までは分かりませんが、それでもやはりご先祖様のことを知るための貴重な資料となります。

戸籍で判明した最古の本籍地周辺の旧土地台帳をすべて閲覧することにより、当時の田畑の所有面積がわかりどれくらいの規模の農業を営んでいたかを推測できます。かつての村単位すべての土地を閲覧できるかどうか、また、旧土地台帳がどのようにファイリングされているか、筆数はどれくらいになるかなど、入念な事前準備が必要です。

なかでも「旧土地台帳が現在どのようにファイリングされているか」はとても重要です。

と言いますのも、町名地番が変更されている場合には、かつての地番でファイリングされている場合もありますし、現在の町名地番ごとに旧土地台帳がファイリングされていることもあるからです。現在の町名地番ごとにファイリングされている場合には、かつての村単位ですべての旧土地台帳を閲覧することは非常に困難だからです。そのような場合には、町名地番の変更対照表を用意するなどさらに入念な事前の準備が必要となります。

逆に、明治時代から現在までに町名地番が変更されていない場合でしたら、かつての村単位すべてを閲覧することは容易です。ただしその場合でも、村単位ですべての旧土地台帳を閲覧できるかどうかは法務局により取り扱いが異なるかもしれませんので、やはり事前の確認が必要です。

この時の調査で閲覧した対象地域は幸いなことに町名地番変更が無く、当時の「村単位」が現在の「字単位」にあたるため、一村すべてを閲覧することが容易でした。しかしながらそのボリュームは数十冊にもおよび、すべてを閲覧するのに丸2日を要しました。

旧土地台帳を閲覧するにあたりましては、事前に町名地番変更の確認をしたり、一村すべてを閲覧することが出来るかどうかを確認し、さらにはどれくらいの冊数になるのかを事前に良く確認してからおこなうことが重要です。

この時の調査では「今は当該土地に住んでいない先祖のかつての所有地、田畑の面積」などをご依頼人様に報告し、大変お喜びいただくことが出来ました。

 


この時の出張では法務局以外にも神社やお寺に足を運び、ご先祖様に関する手がかりについて神主やご住職のもとを訪ねて回りました。

 

 

最終日は新幹線までの時間があったので米沢市内をプチ観光してきました。

宮坂考古館 前田慶次の甲冑
-宮坂考古館-
宮坂考古館では前田慶次の甲冑が展示されています。
その昔、「花の慶次~雲のかなたに~」という漫画が大好きでしたので、甲冑を見て一人悦に浸ってきました。

 

前田慶次 前田慶次
-堂森善光寺-
堂森善光寺には前田慶次の供養塔がありますのでお参りしてきました。

 

 

旧土地台帳閲覧調査

旧土地台帳の閲覧だけなどのピンポイント調査も承ります。
詳しくはお気軽にお問い合わせ下さいませ。

 

 

 

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