二宮金次郎

以前に家系図を作成したかたから「二宮金次郎と先祖との関わりについて調べて欲しい」というご依頼をいただきました。

二宮金次郎とは?

天明7(1787)年に小田原市栢山の農家に生まれ、小田原藩士の服部家の財政を再建したり多くの村々の立て直しをおこないました。小田原藩の桜町領の再興にも取り組み、安政3(1856)年に栃木県日光市で亡くなりました。
薪を背負いながら書物も読んでいる銅像を見たことがあるかたも多くいらっしゃると思います。

報徳博物館

学芸員さんにお話を伺いに報徳博物館へ足を運びました。 参考になりそうな書籍などを多数教えていただきました。
博物館内には二宮金次郎ゆかりの品々が展示してあり、大きく印刷された二宮家の家系図も展示してありました。

報徳記念館

小田原市栢山にある報徳記念館にも足を運びました。二宮金次郎の生家が敷地内にあります。ここでも学芸員さんから展示物などについていろいろと教えていただき、ボランティア解説員のかたからもお話をうかがうことが出来ました。
かつて二宮金次郎が酒匂川沿いに植えたとされる松についてもお話しをうかがいました。私の小学校時代「酒匂川の氾濫を防ぐために二宮金次郎が松を植えた」と習いましたので、松を植えることによって川の氾濫を防いでいたと思っていました。しかし、松の木や根っこ自体が堤防決壊を防いでいたのではなく、酒匂川が氾濫もしくは氾濫しそうになった時に松を切ってしまい、その木材を使って堤防決壊を防いだり決壊した堤防を直すことに使用していたそうです。とてもよいお話しを聞くことができました。

小田原図書館

「二宮金次郎と善栄寺」という書籍を見つけることが出来ました。善栄寺は小田原市栢山にあるお寺で、二宮金次郎のお墓があるお寺です。
弘化2(1845)年に善栄寺が火災に遭い本堂が焼失したことが記載されており、二宮金次郎と善栄寺とのお手紙をみつけました。二宮金次郎は弘化2(1845)年時点では既に栢山を離れておりますので、二宮金次郎の書面による指導のもと善栄寺檀家が団結して善栄寺再建をおこなっていったことが読み取れました。

二宮法務局

二宮法務局

たまたま同じ「二宮」ですが、二宮法務局にも足を運び旧土地台帳や旧公図などの調査をおこないました。
しかし、対象地の旧公図は大正時代以降に編製されたものしか無く、旧土地台帳からは手がかりを得ることはできませんでした。

善栄寺

善栄寺

小田原市栢山の二宮金次郎生家近くに善栄寺というお寺があり、そこには二宮金次郎のお墓があります。

二宮尊徳全集

二宮尊徳全集

全36巻。二宮金次郎の日記や手紙などが掲載されており、二宮金次郎について学ぶことの出来る全集となっています。辞書のようにとても膨大な分量で、すべてを閲覧するには相当な時間がかかりました。
栢山村の名主の家々にかつて存在したであろう古文書は小田原市の郷土誌からはあまり見つからなかったのですが、この二宮尊徳全集には江戸時代の栢山村や周辺の村々の様子が読み取れる古文書や資料が多数掲載されていました。
二宮総本家再興の記録、婚礼ご祝儀帳、伊勢参宮の記録など多数の記録があり、周辺の村の方々との交流の記録の中から依頼者様の先祖のお名前も多数見つけることが出来ました。

最後に

私は小田原周辺で生まれ育ちましたので、二宮金次郎は小さい頃からなじみのある郷土の偉人でした。
二宮金次郎の偉業についてはここでは省略しましたが、半年にわたる調査で私もたくさんのことを知ることができました。二宮金次郎をより身近に感じることができた調査活動であったと同時に、その偉業をあらためて再認識することができました。

映画「二宮金次郎」

二宮金次郎

市民会館や公民館での上映ですが、映画「二宮金次郎」が公開されています。主演の合田雅吏さんは実は私の高校の5つ上の先輩だったりします。機会があれば私も見に行きたいと思っています。

映画「二宮金次郎」公式サイト

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