戸籍に記載された読めない文字

家系図作成講座の講師をしておりますと、戸籍をもとに家系図をご自身で作ろうと思った方が一番最初に高い壁を感じるのが戸籍の文字の判読です。

現代の戸籍は活字化されたパソコンの文字ですのでスラスラと読んでいただくことが出来ますが、古い時代の戸籍、とりわけ戦前の戸籍となりますと手書きで書かれている上にかなりのくずし字で書かれていることがあります。
そのため、先祖の名前が読み取れない、次にどこへ申請したら良いのか分からない、何が書かれているのかわからないと思われる方も多くいらっしゃいます。

このような時の解決方法として、
・くずし字辞典を活用する
・戸籍発行元の役所に聞いてみる
・読み飛ばす
という方法があります。

(1)くずし字辞典の活用

くずし字を判読するための辞典というものがあります。価格は1冊あたり2,000円から6,000円程度します。
しかし、ほとんどの図書館においてこのような辞典は蔵書されていますので、活用していただくことにより読めなかった先祖のお名前が判明することだと思います。

(2)戸籍発行元の役所に聞いてみる

戸籍のコピーを取り、該当部分にマーカーで印をつけ、返信用封筒を同封し、読めない文字の判読をお願いすることにより、たいていの場合は教えていただくことが出来ます。戸籍1通すべての判読はしていただくことは出来ずとも、読めない部分や判読に自信が無い部分だけでしたら、きっと役所の方も力になってくださることだと思います。
役所によっては郵送では対応していただけず、お電話のみでの対応というところもあります。

(3)読み飛ばす

戸籍には、市町村合併のことや戸籍法の改正による戸籍の改製のことなども書かれています。「年月日法務省令○○号により~戸籍消除」のように決まり切った定型文で書かれています。
これは一字一句判読できなくとも先祖の情報の読み取りには直接関係のない事項ですので、ここは全文判読せずに読み飛ばしていただいても大丈夫です。
しかし、読めない部分が先祖の情報のことなのか、定型文なのかを見誤らないように注意が必要です。

ご自身で戸籍を読み取って家系図を作成することは、時に大変なこともあります。
しかしそれはまた同時に楽しい作業でもあると思いますので、最後まで諦めずにぜひとも頑張ってください。

家系図作成のための戸籍収集代行サービス

「自分で家系図を作ってみたい」
「なるべく安く家系図を作成したい」

そのような方々のご要望にお応えし、家系図作成のための戸籍収集代行サービスを開始しました。
拙著「自分で作れる200年家系図」をプレゼントいたしますので、ご自身で楽しみながら家系図を作成していただくことが出来ます。
また、ご希望の方には取得戸籍も無料でPDF化いたします。

いつかは家系図を作ってみたいと思っていたかた、ひとまず先に戸籍だけでも集めておこうと思っていたかた、この機会に是非ご検討くださいませ。

「家系図作成のための戸籍収集代行サービス」のページ
https://kakeizu-sakusei.com/koseki/

先祖代々のお墓探し

「先祖のお墓を探してほしい」というご依頼をいただきました。

墓仕舞いや無縁暮改葬というお仕事のご依頼をいただく一方、このように先祖のお墓探しのご依頼をいただくこともあります。

先祖のお墓を探す方法としては、通常は本家筋にあたる子孫を探しその子孫の方と連絡を取ってお墓を教えていただく方法をとります。たとえば、祖父のお墓を探したい場合には祖父のお墓を受け継いだであろう父の兄の子孫を探し、曾祖父のお墓を探したい場合には祖父の兄の子孫を探し、高祖父のお墓を探したい場合には曾祖父の兄の子孫を探す、という方法です。

そのためにまずは戸籍を取得することが最も近道です。祖父の兄弟姉妹や曾祖父の兄弟姉妹のお名前が判明し、その方々の居住地や子孫が判明する可能性があるからです。古い時代の先祖となりますと兄弟姉妹全員が判明しないこともありますが、明治初期の本籍地、つまりは当時の居住地だったであろう地域がわかります。その場所の周辺には先祖代々のお墓が存在する可能性が高いです。

ご依頼者様は既に戸籍をお持ちであり、現行法上取得できる最も古い戸籍までさかのぼれているとのことでした。さらに最古の本籍地の旧土地台帳や登記簿謄本なども既にご自身で取得済みとのことでした。ほぼ下準備もなく本家の子孫を見つけることができるかなと思っておりました。

しかし、戸籍、旧土地台帳、公図などを確認すると、どうも様子が変です。かつての最古の本籍地番は明治時代から現在までずっと畑であり、また、その周辺に住居があった気配はありません。さらに電話帳を調べてみると、該当する村には多くの同姓の方々が住んでいるものの最古の本籍地番には該当がありませんでした。

これはおそらく、戸籍上の本籍地番と土地の地番とが相違していると考えられます。

その理由ですが、
・屋敷番号の「○○番屋敷」や「○○番邸」と表記すべきところ、「○○番地」と表記してしまった
・戸籍が編成された後に地番変更があり、戸籍上の本籍地番はそのままであったものの旧土地台帳は新地番が採用された
・隣接地を含めた「○○番地・△△番地合併地」という表記をすべきところ、ひとつの地番のみが戸籍に記載されてしまった
などが考えられます。

いずれにしても、最古の本籍地がその後にどのような地番になっていったのかは、今回の場合では戸籍を取得して確認できませんので別の方法で本家の子孫を探さねばなりません。

この時点で本家の子孫やお墓を探すための方法としては、
・電話帳で把握できた同姓の方々にお手紙を書いてみる
・法務局で、かつての村すべての旧土地台帳を閲覧する
という方法をとることができます。

今回、先に法務局で旧土地台帳を閲覧する方法をとりました。旧土地台帳を閲覧することにより本家の子孫が見つかるだけでなく、もしかしたら先祖伝来のお墓が見つかる可能性も考えられるからです。
現代の都市部では菩提寺の境内にお墓があることがほとんどですが、地方では菩提寺の境内にお墓があることよりも今でも村の共同墓地などにお墓があることが多いからです。この場合には村の名義になっていたり共有者全員の共同名義になっていたりします。

法務局へと

旧土地台帳が編成された後の時代に町名地番変更や区画整理などが行われている場合、現在では旧土地台帳がどのようにファイリングされているか事前に確認しておくことが重要です。
また、旧土地台帳は多くの場合において200番地ごとに1冊の冊子になっていますが、1村すべてでどれくらいのボリュームになるかも事前に確認しておくこともお勧めです。

法務局で旧土地台帳を1ページずつめくっていくと、ご依頼者様と同姓の方々をすぐに見つけることが出来ました。さらに、閲覧を進めていくと、ご依頼者様の先祖や先祖の兄弟の方々のお名前も見つけることが出来ました。いくつかの土地を所有しており、その中でも登記上の地目が郡村宅地や宅地になっているところが先祖代々の居住地と思われる場所です。

旧土地台帳だけでは現在もそこに住んでいらっしゃるかどうかまでは分かりませんので、コンピュータ化前の登記簿謄本や現在の登記事項証明書なども取得し、さらには現在の住宅地図なども確認します。
すると、幸いなことに現在もその場所に子孫のかたが住んでいることが分かりました。これで本家を継いだかた、つまりは先祖代々のお墓を承継したであろうと思われる方が判明しました。

さらに旧土地台帳の閲覧を進めていくと、登記上の地目が墓地になっており、かつ、共有名義になっている土地を見つけました。しかし、共有名義であっても旧土地台帳上には共有者全員が記載されていないこともあり、今回もそのようなパターンでした。そこで、現在の登記事項証明書などを取得すると共有者のお名前が登記されておりました。その共有者の中からご依頼者様の先祖のお名前を発見することが出来ました。
登記上の地目が墓地であっても必ずしもお墓であるとは限らず、祠や石碑の場合もなどもあります。 そこで住宅地図やグーグルマップで現地を確認すると、現在も共同墓地となっていることが分かりました。

今回の調査では幸いにも法務局の旧土地台帳調査だけでご依頼者様の本家の子孫のかたの所在地と先祖のお墓の所在地を見つけることが出来ました。後日、本家の子孫の方と連絡をとり、現地のお墓を確認させていただくと先祖のお墓探しも完了です。

さて、今回の調査では「戸籍上の本籍地」と「先祖代々の居住地と思われる場所」の地番が異なっていると思われましたため先に法務局での調査を行ないました。地番が異なっている理由については、おそらくは屋敷番号が間違って表記されたか地番変更が行なわれたかのどちらかであると思われますが、これを調査をすることは非常に難しいため調査はここまでとなりました。

家系図作成や先祖調査はもちろんのこと、先祖伝来の家紋調査や先祖代々のお墓探しなども承っております。
過去のお墓探し調査では、道なき道を進み藪の中へ入って行ったことや、廃村となった山中を歩き回ったことや、炎天下の中1000基以上の墓石を確認してまわったことなどもございますが、幸いにも今回は法務局だけの調査でお墓を見つけることが出来ました。

「先祖代々のお墓に手を合わせたい!」「先祖代々のお墓を探して欲しい!」というご希望をお持ちのかたがいらっしゃいましたら、お気軽にお問い合わせいただければ幸いです。

年末年始休業のお知らせ

誠に勝手ながら、2019年12月28日(土)から2020年1月5日(日)まで冬期休業とさせていただきます。
この期間にいただきましたご連絡への返信は遅れることもございます。

ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご了承のほどお願い申し上げます。

斗南藩士の先祖調査録

「斗南藩に関する本を読んでいたら自分の先祖と同じ名前が出ていたので同一人物かどうか調べて欲しい」というご依頼をいただきました。

既に戸籍は取得済であったものの、古いものは残念ながら廃棄されておりました。しかし、調査対象となる方の出生死亡日や父母のお名前は幸いにも戸籍に記載されておりました。
江戸時代に先祖が武士だった場合、「当家の先祖は侍だった」「○○藩の士族だった」という言い伝えが残っていることが多いです。しかし、例えば父や祖父が早くに亡くなっていたり、例えば父も祖父も分家した家系では先祖伝来の言い伝えが伝わらないことも珍しくありません。親戚が少なく家系のお話しを聞ける人がいないといった事情もあるかもしれません。これは先祖伝来の家紋がわからない、先祖代々の古いお墓がわからないことと同様の事例だと思います。
今回の案件においても、ご依頼者様自身には「先祖が武士だった」とも「武士ではなかった」とも伝わっていませんでした。

斗南藩とは?
明治2年(1869年)に松平容大に家名存続が許されて成立した青森県の東部にあった藩です。旧会津藩士が斗南藩に移住し成立しました。

今回の案件はさかのぼる調査でも、ある特定の先祖について詳細を調べる調査でもありませんので、斗南藩士に関する記録を探していくことにいたしました。斗南藩士に関する記録がどれほど残っているか、どのようなことが書かれているかがキーポイントになります。また、元々は会津藩士だった方々が明治2年に斗南藩士となったわけですから、必要に応じて会津藩士に関する記録も探していくことになります。

斗南藩士と会津藩士に関する書籍や資料として、下記のものなどを国会図書館で閲覧することが出来ました。
・「斗南藩 : 「朝敵」会津藩士たちの苦難と再起」
・「会津藩斗南へ : 誇り高き魂の軌跡 新装版」
・「会津若松市史史料目録 第4集」
・「会津若松史」
・「明治の士族 : 福島県における士族の動向」
・「要略会津藩諸士系譜 」
・「会津藩士人名辞典 : 役名禄高住所明細 安政5年調」
・「会津史談会誌 」
・「五戸町誌 」
・「神谷源蔵 : 明治初期の村政と旧斗南藩士」
・「斗南藩史」

斗南藩に移住した方のお名前の他に父の名前や家族構成、年齢などの詳細も書かれている資料もありました。ご依頼者様の先祖と同じ名前の方とは父の名前や年齢や家族構成などの全てが異なっており、またその地区においては旧斗南藩士は廃藩置県後に会津に戻っていったことなども書かれておりました。つまり、同姓同名の別人であることが判明しました。

ご依頼者様の先祖は残念ながら斗南藩士でなかったという結論に至ったのですが、それでもご依頼者様からは「これまで気になっていた家系の謎が解けてすっきりしました」というご感想をいただくことができました。さらに、亡き父のことが書かれていた郷土誌も見つけること出来、お喜びいただける調査結果となりました。

斗南藩士に関する記録は現地の青森県や、もともとの藩である会津藩があった福島県のほうが多数残っていることだと思います。しかし現地に行かずとも書籍化された資料も多く存在しますので、国会図書館でも調査を行なうことが出来ました。

続きを読む 斗南藩士の先祖調査録

二宮金次郎

以前に家系図を作成したかたから「二宮金次郎と先祖との関わりについて調べて欲しい」というご依頼をいただきました。

二宮金次郎とは?

天明7(1787)年に小田原市栢山の農家に生まれ、小田原藩士の服部家の財政を再建したり多くの村々の立て直しをおこないました。小田原藩の桜町領の再興にも取り組み、安政3(1856)年に栃木県日光市で亡くなりました。
薪を背負いながら書物も読んでいる銅像を見たことがあるかたも多くいらっしゃると思います。

報徳博物館

学芸員さんにお話を伺いに報徳博物館へ足を運びました。 参考になりそうな書籍などを多数教えていただきました。
博物館内には二宮金次郎ゆかりの品々が展示してあり、大きく印刷された二宮家の家系図も展示してありました。

報徳記念館

小田原市栢山にある報徳記念館にも足を運びました。二宮金次郎の生家が敷地内にあります。ここでも学芸員さんから展示物などについていろいろと教えていただき、ボランティア解説員のかたからもお話をうかがうことが出来ました。
かつて二宮金次郎が酒匂川沿いに植えたとされる松についてもお話しをうかがいました。私の小学校時代「酒匂川の氾濫を防ぐために二宮金次郎が松を植えた」と習いましたので、松を植えることによって川の氾濫を防いでいたと思っていました。しかし、松の木や根っこ自体が堤防決壊を防いでいたのではなく、酒匂川が氾濫もしくは氾濫しそうになった時に松を切ってしまい、その木材を使って堤防決壊を防いだり決壊した堤防を直すことに使用していたそうです。とてもよいお話しを聞くことができました。

小田原図書館

「二宮金次郎と善栄寺」という書籍を見つけることが出来ました。善栄寺は小田原市栢山にあるお寺で、二宮金次郎のお墓があるお寺です。
弘化2(1845)年に善栄寺が火災に遭い本堂が焼失したことが記載されており、二宮金次郎と善栄寺とのお手紙をみつけました。二宮金次郎は弘化2(1845)年時点では既に栢山を離れておりますので、二宮金次郎の書面による指導のもと善栄寺檀家が団結して善栄寺再建をおこなっていったことが読み取れました。

二宮法務局

二宮法務局

たまたま同じ「二宮」ですが、二宮法務局にも足を運び旧土地台帳や旧公図などの調査をおこないました。
しかし、対象地の旧公図は大正時代以降に編製されたものしか無く、旧土地台帳からは手がかりを得ることはできませんでした。

善栄寺

善栄寺

小田原市栢山の二宮金次郎生家近くに善栄寺というお寺があり、そこには二宮金次郎のお墓があります。

二宮尊徳全集

二宮尊徳全集

全36巻。二宮金次郎の日記や手紙などが掲載されており、二宮金次郎について学ぶことの出来る全集となっています。辞書のようにとても膨大な分量で、すべてを閲覧するには相当な時間がかかりました。
栢山村の名主の家々にかつて存在したであろう古文書は小田原市の郷土誌からはあまり見つからなかったのですが、この二宮尊徳全集には江戸時代の栢山村や周辺の村々の様子が読み取れる古文書や資料が多数掲載されていました。
二宮総本家再興の記録、婚礼ご祝儀帳、伊勢参宮の記録など多数の記録があり、周辺の村の方々との交流の記録の中から依頼者様の先祖のお名前も多数見つけることが出来ました。

最後に

私は小田原周辺で生まれ育ちましたので、二宮金次郎は小さい頃からなじみのある郷土の偉人でした。
二宮金次郎の偉業についてはここでは省略しましたが、半年にわたる調査で私もたくさんのことを知ることができました。二宮金次郎をより身近に感じることができた調査活動であったと同時に、その偉業をあらためて再認識することができました。

映画「二宮金次郎」

二宮金次郎

市民会館や公民館での上映ですが、映画「二宮金次郎」が公開されています。主演の合田雅吏さんは実は私の高校の5つ上の先輩だったりします。機会があれば私も見に行きたいと思っています。

映画「二宮金次郎」公式サイト

先祖調査報告@広島県

広島県にルーツを持つ方から先祖調査と家系図作成のご依頼をいただきました。いつも通りにまずは戸籍を収集し、国会図書館において資料収集や文献閲覧などの事前調査を済ませました。

今回の出張は日程に余裕があったため、調査開始の前日から呉市入りして市内を少し観光することにしました。

崎陽軒のシウマイ弁当
新幹線の出張のお供は崎陽軒のシウマイ弁当が私の定番です。

てつのくじら館

呉駅から徒歩5分くらいのところにある海上自衛隊の史料館です。実物の潜水艦が展示されており、その内部も見学することが出来ます。展示というよりも巨大な潜水艦が敷地にそのまま置かれていると言った方が正確かもしれません。うれしいことに入館料は無料です。

大和ミュージアム

戦艦大和を建造した軍港のあった呉市にある博物館です。てつのくじら館の道路をはさんだ反対側にありますので、2つの施設を同日に見て回れます。戦艦大和に関する様々な資料が展示されていました。

海軍さんの麦酒館

呉市の町並みを眺めながら川沿いを歩いていき、海軍さんの麦酒館へと行ってきました。この日はちょうど呉港の花火大会の日でしたが、早い時間帯で一人だったためすぐに入れました。ビールとカレー、ともに絶品でした。呉市を訪れた際にはまた行きたいお勧めのお店です。

お墓の調査

呉駅からローカル線とバスを乗り継いでご依頼者様の先祖のお墓を調査しに向かいました。真冬の調査も寒くて過酷ですが、真夏の調査もかなりしんどいです。墓石や墓誌に刻まれたお名前を全て確認することが出来ました。

無事に調査を終え、アイスを食べてクールダウン。

呉市中央図書館

呉市中央図書館

呉市史に掲載されていた出典元の資料が呉市中央図書館に保管されており、資料現物を閲覧できることを事前の調査で把握しておりました。予約制のため前もって図書館の方にお願いをしておき、当日は出典元の資料を閲覧させていただくことができました。
郷土誌には宗門人別帳などの古文書、古い時代に書かれたグラフや統計、写真などが掲載されています。これらの資料は出典元の一部分のみであることが多いですが、ほとんどの場合において出典元資料の情報が郷土誌に掲載されています。 それら大元の資料を閲覧することにより、郷土誌には掲載されていない新たな情報が得られることがあります。
郷土誌の出典元資料は旧家などの各個人が所蔵していることが多く、残念ながら今では所在が分からなくなっていることもあります。しかし、今回は幸いなことに出典元の資料が図書館に保管されていることがわかり、しかも閲覧させていただくことも出来ました。
先祖調査を行う上では、ただ単に郷土資料を閲覧するだけでなく一歩踏み込んで出典元資料の調査までをおこなうことも重要です。
呉市図書館ではそのほかにも現地でしか閲覧できない書籍なども閲覧して参りました。

呉法務局

呉法務局

事前に戸籍調査をおこなったものの、残念ながら最古の戸籍は廃棄されておりました。おそらくは戸籍上判明した本籍地と同村に住んでいらしたと思われるものの戸籍廃棄のため正確な場所はご依頼人様もご存じではなく、そのため先祖のかつての居住地を探すため法務局にやってきました。
一村すべての旧土地台帳を閲覧することにより、先祖のかつての居住地や土地の所有状況などが分かることがあります。今回も時間をかけて全物件の旧土地台帳を閲覧し、幸いなことに先祖のかつての居住地が判明しました。また、先祖の名義となっていたその他の土地も発見し、さらに他にも先祖の遠縁に当たると思われる方々も把握できました。これらの情報は後日お手紙等で情報収集する際の手がかりとなります。

多幸膳

広島に来たらやっぱりお好み焼き。呉市街にある多幸善というお店に行きました。リーズナブルでおいしいお店でした。

東広島市の風景

帰りの新幹線の車窓から。
以前に東広島市での先祖調査をご依頼いただき、3年ほど取り組んでおりました。東広島市には何度も足を運び、赤瓦の屋根を良く目にしました。新幹線からも眺めることが出来、懐かしい思い出がよみがえってきました。

高松藩医の先祖調査録

以前に書いた高松藩士調査のブログ記事をご覧いただいた方から家系図の作成と高松藩医の先祖調査のご依頼をいただきました。
先祖が江戸時代に高松藩の藩医だったそうであり、その記録を探す調査を行なうことになりました。多くの藩において、藩医も武士の方々と同様に士族に関する記録に載っております。

まずは戸籍調査を行ない、幸いなことに古い戸籍も廃棄されておらず現行法上取得できる最も古いものまでが取得できました。

次に国会図書館に出張して資料文献を探す事前調査。 高松藩士に関しては郷土史研究家のかたが書かれた「高松藩藩士録」という書籍に多くのことが記載されています。高松藩医に関する資料として、古い時代の香川県医師会誌に掲載されている記事がとても参考になります。何度も国会図書館に通って念入りに事前調査を行なった後に高松市へと出張しました。

高松市内には高松藩医の墓地が残っており、まずは墓地を訪問して調査。次にご依頼者様の先祖のお墓を調査。戸籍よりも一代さかのぼった先祖のお名前を墓碑に確認できました。古い時代の墓碑はそのままでは読むことが出来ない場合でも、霧吹きで水を掛けたり昼間でも懐中電灯を当てて影を作ることで読み取れる場合があります。今回は懐中電灯の光を当てたことにより、ご依頼者様も確認できていなかった新たな先祖のお名前を読み取ることが出来ました。

高松港

墓石調査の後はご依頼者様と一緒に高松港を眺めながらお食事をいただいてきました。

その後、香川県立図書館へ。ここは以前にも高松藩士の調査で訪れました。高松藩士や高松藩医に関する書籍が多数あり、高松藩医録や高松医学医事史といった書籍がとても参考になります。
まだ書籍化されていない出典元の資料についてはコピーは出来ませんが、閲覧や写真撮影が出来ます。

高松滞在の最終日、法務局での旧土地台帳調査が予定よりも少し早く完了しましたので、前回の出張では行けなかった高松城へ行ってきました。

海に隣接するお城だけあってお堀には黒鯛がたくさん泳いでおり、エサ販売のガチャまでありました。

お城の石垣の矢穴や印を探してみるのも面白いです。

貴家の家系図作成を代行いたします

当事務所ではご依頼人様に代わってご先祖様を調査し家系図を作成いたしております。
下記リンク先よりまずは無料資料請求をしていただき、じっくりとご検討くださいませ。
郵送もしくはPDFファイルのダウンロードをお選びいただけます。

家系図資料請求
家系図のことなら家系図作成WEB

出張のお知らせ(2019年11月26日(火)~27日(水))

ご先祖様調査のため、2019年11月26日(火)夕方から27日(水)まで茨城県へと出張いたしております。

この間、電話は転送になっており外出先でメールもチェックいたしておりますが、返信が遅れることもございます。

 

ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご了承のほどお願いいたします。

家紋調査の現場から

以前に家系図作成をご依頼いただいたかたから家紋調査のご依頼をいただきました。家紋は先祖代々受け継がれていくことが多いですが、分家をして数代を経過したり、幼少期に代替わりがあったり、移住などをした際に子孫へと伝わらず、今では先祖代々の家紋をご存じない方も多くいらっしゃいます。

家紋調査の方法はいくつかございますが、本家の墓石や仏壇などに刻まれている家紋を確認させていただく方法が確実です。しかし、本家が既に絶家していたり遠方に移住していたり墓じまいをなさっているような場合には家紋を確認させていただくことが出来ません。

このような場合には、かつての先祖の居住地付近の同姓の方々を探し出して家紋を尋ねてみる方法があります。名字が同じだけで親戚であるとまでは断言できませんが、遠縁にあたる可能性や共通の家紋を使用している可能性は高いと思われるからです。

本家も同姓の方々もまったく見つからない場合には、資料文献などからその地域の名字ごとの家紋を調べる方法もあります。ただし、資料文献からだけでは残念ながら先祖代々の家紋である可能性は低くなり、あくまでも参考程度の情報となってしまいます。

今回の案件では先に家系図を作成していますので既に戸籍は取得済であり、現行法上取得できる最古の戸籍までが取得できておりました。最古の本籍地周辺の住宅地図を取得したところ、残念ながらそこには既に本家の方々が住んでいる気配はありませんでした。しかし、周辺地域には同姓の方々がたくさん住んでおり、古くからその地に居住していたことが旧土地台帳からわかりました。本家の子孫ではないと思いますが、おそらくは遠縁にあたる方々です。

これらの方々へ使用している家紋聞き取りのお手紙をお送りしましたところ多くの方々からご返信をいただくことが出来、使用している家紋も教えていただくことが出来ました。その地域の同姓の方々は同じ家紋を使用しており、さらには書籍からもその都道府県のその名字の代表的な家紋が使用されていることがわかりました。

本家をついだ子孫のかたが見つからなかったため100%確実とまでは言えませんがと前置きした上で、おそらくはこの家紋で間違いありません、ということをご依頼者様へお伝えすることが出来、とてもお喜びいただくことが出来ました。

旧土地台帳
旧土地台帳

その土地を管轄する法務局で写しを取得することが出来ます。
旧土地台帳は200番ごとくらいに一冊の冊子になっています。つまり1つの地域に2000番まで地番があるとその地域の10冊の旧土地台帳が存在することになります。
冊子ごとに表紙がついており、「表紙の写しもつけください」とお願いしても断られることもあれば、何も伝えてないのに表紙が着いた状態で発行されることもあります。法務局ごと担当者ごとに取り扱いは異なるようです。
旧土地台帳は地目も書かれていますので、ある土地が古い時代にどのような利用をされていたのかを知る手がかりにも使用できそうです。


名字と都道府県ごとに家紋が掲載されている書籍は、とても家紋調査の参考になります。


お墓の建立などを機に、家紋を知りたいとお思いになったことはございませんか?
当事務所では家系図作成の他に家紋調査も承っております。詳細は家紋調査ご案内のページをご覧ください。

戸籍調査・文献調査・本格的現地調査でご先祖様探し