終活大学 in 我孫子

本日はNPO法人終活サポートセンター様主催の「終活大学in我孫子」に出かけてきました。

終活大学とは終活を学んで頂くセミナーです。そのセミナー会場で家系図のブースを出させていただきました。

終活大学

ブースをご用意頂いた上に、プレートまでご用意していただいておりました。

終活

セミナー会場は150名が満席の大盛況だったようです。本日はありがとうございました。

我孫子の地名由来について

我孫子市へ出かけてのは、実は今回が初めてでした。少し変わった地名だなと前々から思ってましたので、その由来を調べてみました。

我孫子という地名については確定的な由来はわかっておらず、現在4つの説があるようです。以下、我孫子市のHPより引用させていただきました。

一つは、古代の氏(ウジ)や姓(カバネ) にちなむとする説で、大和朝廷の古い時期の官職として「古事記」等に出てくる「阿毘古」があります。この阿毘古は、大王(オオキミ)に魚や鳥などの食糧を貢進する氏族でした。中央の氏族は地方に領民をもっていたことから、それらの土地には各氏族の名がつけられ、それが後世にまで残ることになります。県内にもある蘇我とか葛城などはそのような地名ではないでしょうか。

二つめは、網曳(あびき)が転じたとする説で、網曳はもと宮内省(ミヤノウチノツカサ)の大膳職に属する雑供戸で、海産の魚貝を貢進する品部でした。もしかすると、常陸川(現在の利根川)の鮭を網で捕ったりする「網引」や手賀沼の水鳥を網で獲ったりする「網子」など、地元の食産物を貢進していた集団(広義の「饗彦」)が住んでいたのかもしれません。

三つめは、地形に根拠を求める説で、アバ(くずれた)・コ(処)が転じた崩壊地形を示す地名やアミ(網)・バ(場)の略で漁場を示す地名が考えられます。

四つめは、外国語由来説でインドシナのチャム語のアビ(火)クク(神)やヘブライ語のAbik (我らの先祖たち)があります。またアイヌ語では、ap-Kotan(釣針-村)やapkot-ni(釣-竿)があり漁業に関する地名と関係しています。

ご先祖様調査に関連して地名由来を調べることが多々あります。そのような時にとても参考になるのが「角川地名辞典」です。各都道府県ごとに刊行されており、少し大きな図書館でしたらたいていは置いてあります。この書籍で皆様のご先祖様がかつて住んでいらした場所の地名や、現在お住まいの地名を調べてみるとなかなか面白いと思います。

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